ニュルンベルク音楽大学 Hochschule für Musik Nürnberg

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小関妙 KOSEKI TAE

専攻
音楽・弦楽(ヴァイオリン)

学歴
2010-2012 ニュルンベルク音楽大学修士課程修了
2009- 東京藝術大学大学院音楽研究科器楽専攻
2005-2009 東京藝術大学音楽学部器楽科卒業
2002-2005 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校卒業

受賞歴
2010 文化庁新進芸術家海外研修員(1年派遣)
2009 宗次エンジェルヴァイオリンコンクール第2位
2009 大学卒業時、同声会賞、同年夏に霧島国際音楽祭賞受賞
その他、クァルテットヴェーネレとして、多数受賞、及び松尾学術振興財団より助成金を受ける。
2008 市川市新人演奏会最優秀賞

 

01.留学までの経緯

「ドイツに留学した理由は?」

師事したい先生がドイツで教授をしていたため。
初めてのレッスンから、先生のヴァイオリンのうまさ、レッスンの密度、人柄に感動しました。先生はいつも練習している方。朝から部屋で、お昼休みはレッスン室で、レッスンが全て終わった夕方はまた部屋で練習されているのが印象的で、「わたしも練習しなきゃ!」と思いました。
1年に数回その先生のレッスンを受けてはいましたが、断続的にではなく、継続してレッスンを受けたいと思い、留学しました。

 

「留学前に短期研修、講習会に行きましたか?」

先生と知り合ったのは、わたしが高校2年生の時の霧島国際音楽祭で受けたマスタークラスででした。以来、学校の冬休みにドイツへレッスンに行ったり、先生がいらっしゃる時には日本でレッスンを受けたりしていました。

 

「本格的に留学を計画し始めたのはいつですか?」

約1年前。文化庁の海外研修員に応募したためで、提出書類の締め切りが留学を始める1年前の夏でした。2009年の霧島国際音楽祭が終わった時で、「今動かないと、もう行く機会はないだろう」と感じました。
大学に入る時期に、先生のところへ行こうかと考えたことがありましたが、その時は先生に「ドイツで、ドイツ語で、和声や楽典、他の授業をすべて履修しないといけないと、逆にヴァイオリンに向ける時間が減ってしまうし、そういう例をいっぱい見ている。僕はよく日本に来ているから、その時はレッスンできるし、ドイツでももちろんできる。今良い日本の機関にいるのだから、日本に軸があっても良いと思う」と言われていました。当時のわたしが外国で一人暮らしをするなんて、小関家の頑固な父にも考えられなかったと思います。
最終的に留学を決めるにあたっては、家族には何も言わずに、海外研修員に合格すると信じて、それが全部できたら事後報告しようと思い、秘密で動きました(笑)
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「留学先に当該機関(大学等)を選んだ理由は?」

わたしの場合は、ただ、師事したいゲーデ先生がニュルンベルク音大で教えていたので、この留学先を選びました。
留学前から、レッスンでこの大学には足を運んでいたのですが、養老院をリフォームしたという建物は、なんとなくいつも薄暗くて、あまり好きではありませんでした。入学してみると、各楽器のレベルもばらばらで、大好きな室内楽が全くできなかったり、オーケストラが、藝大で勉強したわたしには考えられない位カオスだったり…。色々大変でした。でも、ニュルンベルクの大学院で勉強した2年間、わたしにとって重要だったのは、先生の下で自分の奏法や、音楽へのアプローチの仕方(聴き手に音で伝えるためにどのようなテクニックが必要かを、エチュードなどを用いながら勉強したり、小品などで、「こんなこともしちゃうの?」とそれまで大人しかった(?)わたしにはびっくりな曲作り、ニュアンス作りを学んで、言葉にするのは難しいですが、ニヤリと笑いながら弾いてしまう部分ができたり)を磨くことだったので、「自分のための練習」しかすることがなかったのは、逆に良かったかな、と思います。
ただ、周りのレベルというのも、自分が向上するためには大切ですので、もし、先生が他の都市で教えていたとしたら、そちらを選んだと思います。

 
留学1年目の冬。学校のオーディションで選ばれ、学生オーケストラと共演しました。
留学1年目の冬。学校のオーディションで選ばれ、学生オーケストラと共演しました。[/gakunai]

 

02.留学の準備

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「出願手続きや入試の内容はどのようなものでしたか?」

出願に必要な書類は大学のホームページからダウンロードできました。
必要だったのは、申し込み用紙、試験料の振り込みをした証明書、これまでの卒業証明書と成績証明書、ドイツ語の能力証明書(ゲーテ・インスティテュートで語学試験を受験しました。1年に2回位しか試験がないと思うので、受ける時には早めに試験日などをチェックすると良いと思います)などだったと思います。

一つ大問題があったのですが、その時わたしは藝大の大学院に在籍しており、ドイツの先生からも、先に留学した先輩たちからも、「ドイツは書類が大事な国だから、持っている書類、出せる書類は全部出した方がいいよ!」と言われていたため、藝大大学院の在学証明書も同封しました。
すると、ニュルンベルク音大側から「あなたは既に大学院に在籍しているので、本校を受験することはできません」という返答がありました。ゲーデ先生が学校側と会議で掛け合ってくださり、入試の許可はおりましたが、合格後も、事務局が「日本の大学院で1年勉強しているから、残りの1年だけ在籍できます」という書類を送ってきたため、再び交渉。先生の助けがなければ、留学は準備で終わっていたかもしれません。

日本で在学していても、大学院の書類は出さないことが、まず基本です! でも、もし問題があった場合は、大学によっては「ソリストの修士課程」と「オーケストラ奏者の修士課程」で分かれており(ベルリン芸術大学のようにどちらもある場合もありますが)、ニュルンベルクのような小さな学校は、基本的には「オーケストラ奏者のマスター」なので、「わたしは日本ではソリストコースの修士でした」というような逃げ道は、もしかしたらあるかもしれません。ニュルンベルクの修士課程を終えてから、ベルリンでソリスト修士に入学した友人が何人かいるので、きっと大丈夫です。

ドイツの大学の教務課とは本当に揉めることが多いので、問題があったら、先生に間に入っていただいて交渉した方がなにより早いです。
入試では、コンチェルトの第一楽章と、バッハ、ヴィルトゥオーゾピースを弾きました。入試の空気は非常に穏やかで、ドイツ人の受験生たちはジーンズにTシャツ。わたしの出番が朝一だったためか、先生方も良い香りのフルーツサラダを食べながら聞いていらっしゃいました。

 

「どのような入試対策をしましたか?」

大学院から入る場合、音楽理論などの試験もないので、自分の演奏する曲(先生に相談して決めていました)をしっかり準備しました。入試は5月末で、春休みの終わりに10日間ほどレッスンに行きました。
また、先生ごとに受け入れる学生の枠があり、大丈夫と事前に言われている場合はまず心配いらないと思います。ゲーデ先生は、文化庁の書類を出す時点で「この学生は2010年冬学期から、わたしのクラスで勉強します」という書類を書いてくださっていました。[/gakunai]

 

「語学の学習法は?」

藝大の授業でドイツ語を履修していましたが、すごく勉強していたわけではないので、ドイツに行くと、全くついていけませんでした。
ドイツの音大の多くは入試までにZDというドイツ語基礎能力試験の証明を持っていないといけないところが多く、学部生は、さらにその上の資格を入学1年以内に取得しなければなりません。そのため、「外国人のためのドイツ語クラス」とか、「他の大学と提携して無料でドイツ語クラスに通える」などのプログラムを用意しているところが多いです。

わたしは大学院からだったので、ZD以上の資格は必要なかったのですが、数か月間、提携大学と共同のドイツ語クラスに通いました。でも、その提携大学が経済学の有名な学校だったため、テーマが「わたし、今日の単語全部、一生使わない気がする…」というものが多く、また3時間×週3回と、練習したい音楽学生にとっては時間的な負担が大きかったので行かなくなりました。
まだまだなわたしのドイツ語ですが、とにかく聞くこと、話すことが大事だと思います。わたしは毎日ディズニーの『バンビ』や『101匹わんちゃん』をドイツ語、英語で繰り返し見ています。最近は朝からラジオを流していることが多いです。

 

「奨学金の申請有無とその結果は?」

わたしは父の方針で「大学院に進学したいなら、自分の力でしなさい」と言われていたので、文化庁の海外派遣研修員制度に応募し、いただくことができました。留学を決意したのが8月の初旬。そこから、文化庁に問い合わせたところ、提出書類をお盆前までに揃えなければならないことがわかったので、ドイツの先生、日本の先生に推薦状を書いていただいたり、提出のためのDVDを制作したり、研修計画を書いたり、という作業を10日ほどで終えて、ぎりぎりに持ち込みで提出しました。
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「奨学金の申請方法にコツはありますか?」

わかりませんが、期限ぎりぎりだった自分の経験上、しっかり前もって準備すると良いと思います。提出要項には、研修計画や希望をできるだけ詳しく書いてくださいとあったと思います。なので、何を使って、何のために、何をしたい、というのをマスいっぱい、かなり詳細に書きました。そこに書いたことを元に、面接の席でやり取りをしました。
ちなみに、コンクールの入賞歴も書きましたが、わたしアピールできるような実績と言えるようなものはあまりありませんし、何もなしで貰っている知人もいます。[/gakunai]

 
語学学校での一枚。臨月の先生を囲むのは、フランス人、ロシア人、ポーランド人、スペイン人など色々な国の、さまざまな年齢層の人たちです。
語学学校での一枚。臨月の先生を囲むのは、フランス人、ロシア人、ポーランド人、スペイン人など色々な国の、さまざまな年齢層の人たちです。

 
名物ニュルンベルガーソーセージとわたし
名物ニュルンベルガーソーセージとわたし

 

03.留学中

「学校や現地での生活はどうでしたか?」

学生になるための申請、ビザや銀行、保険の手続きなどが全て済むまでは、なかなか落ち着かず、日本でもしたことのないようなお役所の手続きに緊張した日々を過ごしました。ドイツの環境に慣れてくると、学校でもたくさんの友達ができ、ドイツ語を話す機会も増え、語学の上達にも良い環境ができてきます。

藝大の在学中は、沢山の合わせやオーケストラのお仕事、自分の練習と、毎日本当に忙しかったのですが、ニュルンベルクでは自分のための時間が沢山とれました。
学校は家から15分だったので、毎日朝から夜まで学校にいました。わたしは練習できる家を探したのですが、初めて家で音を出した時から、隣人のトルコ人のお兄ちゃんがトルコ音楽を大音量でかけてきたのです。ご丁寧に音量調節までしながら…。ドイツ語がしっかりできれば、こんな時でも交渉して、取り決めができるらしいのですが、当時は文句を言われるのが怖くて、家ではほとんど練習しませんでした。
学校の練習室は少なく、混んでいる時は2時間制。2時間済んだら再び並び直さなければならない決まりでした。でも18時以降は21時の閉校までだいたい部屋を確保できましたし、土日はいつもガラガラでした。

レッスンは1回90分。日本では1回1時間だったので、初めのうちは英語を交えながらのドイツ語での長いレッスンに、フラフラになっていました。特に、ゲーデ先生は音階とエチュードを重視する方なので、レッスン1回がドントというエチュードの1番とA-durの音階で終わることもありました。
2年目が始まると、先生が1カ月に数回行っているオーケストラスタディのレッスンにも参加し始めました。ウイーンフィルのコンサートマスターをしていた先生なので、これもまたとても勉強になりました。ドンファンや、モーツァルトのEs-durシンフォニーなどは、ウイーンフィルのボーイングやフィンガリングのものをいただき、勉強しました。

ニュルンベルクは物価が安く、わたしが住んでいた場所は街のかなり中心、治安も良い所でしたが360ユーロほど。わたしが留学を始める時は、ちょうど引っ越すような知り合いがいなかったので、インターネットや新聞で探しました。日本からでも住宅情報のサイトをチェックできるので、予め何軒かは見学を予約していました。着いてから家探しの間は、日本人の友人のお家にお世話になりました。

外食するとお金がかかりますが(それでも日本で外食するのとは、違う金銭感覚です)、基本的には自炊していました。また、ドイツは学生の待遇がとても良く、わたしは住んでいませんでしたが、学生寮などは月200ユーロ程度で暮らせたり、交通機関の割引もあります。市内交通はもちろんですが、ICEという日本でいう新幹線のようなものの割引は特にお得。25歳までなら、常に電車のチケットを半額で買うことができるカード自体を半額で購入できます。わたしはそれを利用して、ドイツ各地に住んでいる友人を訪ねたりしていました。

ちなみに、海外派遣研修員は自由に帰国できないルールがありますが、わたしには全く苦になりませんでした。日本で演奏会のお誘いをいただいても、お断りしないといけないのは残念でしたが…。ちょくちょく帰ると、せっかく慣れたものもまたゼロになってしまうのではないか、とも思っていました。ドイツの四季をまるまる感じられる良い期間だと、わたしは思います。それに、もし、ある程度早い時点で分かっている重要な予定であれば、帰国可能だと思います!

 

「留学中に得たこと、困ったことなど」

得たことは本当に多いです。ヴァイオリン、音楽に対する思いが大きく変わったのが一番大きいと思います。もちろん日本に居る時から、それはわたしにとって大事なものでした。日本では4人兄弟の末っ子で、いつもにぎやかな実家でぬくぬくと暮らしていたわたしは、ドイツで初めて一人になりました。日本でわたしの周りに当たり前にあったものがなくなった時、自分にとって、音楽がどれだけ大事なものなのかを痛感しました。日本では感じなかったような、辛いことや悲しいこともあったので、そんなときに、自然にヴァイオリンを持って、自分のその時の気持ちに合ったメロディーを探すうちに、ヴァイオリンが自分に無くてはならない存在であることを、改めて感じました。

また、ドイツ人はもちろん、アメリカ、韓国、イタリアなど、様々な国籍の友人と出会って、それぞれの持ち味のある音楽を聴くことも勉強になります。島国の日本と違い、電車やバスに乗ればオーストリア、イタリア、チェコ、スイスと、どこでも行けるので、休みの時などに旅をして、ドイツ以外の空気を自分の肌で感じることができるのも、大きな魅力だと思います。

学校のオーケストラでワインの名産地、イタリアのモンテプルチアーノに行った時は、ドイツから12時間まさかのバス移動。大陸だからって…、という感じでした(笑) そこではイタリアらしく、お昼からワインを飲み、プールに入り、お昼寝して、21時から演奏会。しかも演目は「フィガロの結婚」。バカンスのようでしたが、毎日、日付を跨いで本番をしていました。

様々な国に独特の色や香りがあり、その違いが楽しいのですが、住む土地に慣れてくると、段々と、電車や飛行機でその街に降り立つたびに、「帰ってきた~!」という安心感が生まれてきました。そういう感覚が、自分がその土地に馴染んできているのかも、という確認になりました。
今ミュンヘンに住んで5ヶ月になりますが、オーケストラで旅をして帰る際、3ヶ月目くらいまではいつも「ニュルンベルクに」とつい口にしていたわたしも、最近はすっかり「ミュンヘン」で安心するようになってきました。

困ったことは、やはりまずは語学でした。留学をしたいと考えるならば、せめて英語はしっかり使える状態であると良いと思います。
くだらないことですが、わたしは日本のサツマイモが大好きなので、それが食べられないことはちょっと辛いです。今は家族に頼めば数日で何でも送ってもらえるので、そうそう物で困ることはないのですが、サツマイモはドイツでは全く手に入らず、送ってもらえるものでもないので…。

 
(左上)ドイツの初めての一人暮らしで自炊をするようになったわたし。お正月にはドイツでもお雑煮を作って食べています。(右上)普段は和食が多いですが、これはタコライス。多国籍な感じのご飯はお米がイマイチでもおいしく料理できるので、よく作ります。(左下)白身魚(鯛の仲間?)のソテーと、お肉屋さんで薄切りしてもらった豚肉で豚汁。(右下)日本人はやはり日本食!持ち寄りパーティーには、ちらし寿司、きんぴら、角煮などなど…和食が並びます。
(左上)ドイツの初めての一人暮らしで自炊をするようになったわたし。お正月にはドイツでもお雑煮を作って食べています。(右上)普段は和食が多いですが、これはタコライス。多国籍な感じのご飯はお米がイマイチでもおいしく料理できるので、よく作ります。(左下)白身魚(鯛の仲間?)のソテーと、お肉屋さんで薄切りしてもらった豚肉で豚汁。(右下)日本人はやはり日本食!持ち寄りパーティーには、ちらし寿司、きんぴら、角煮などなど…和食が並びます。

 

04.留学を終えて

「活動の場をヨーロッパにしようと思った経緯」

ドイツ人の恋人がいるから、ドイツに何としても残りたい! とか、そんな理由のないわたしはただ、「なんだか心地よく、自分の時間を楽しむことができているドイツでの生活を、もう少し続けたい」と思ったことがドイツで仕事をしたいと考えた理由です。また、知り合ったヨーロッパで仕事をする人達は、国籍を問わず、誰もが、家族との長い休暇や、全てのお店が閉まった日曜日の静かなお散歩、ウインドウショッピングの時間を大事に楽しんでおり、それが、オフはオフらしく過ごしたいわたしにすごく合っていると感じました。言葉もようやく身についてきて、2年という時間はわたしにとって、やっと不自由なく生活できるようになるために必要な時間だったように思います。3年目を迎えて、仕事を始めた今は、この土地でいかにいつまでも私らしく生活できるかを楽しみながら暮らしています。
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「オーケストラ・オーディションについて」

こちらに残るならオーケストラを受けようと思ったのが、ちょうど2012年の3月くらい。そこから、先生の薦めるオーケストラに書類を送っていましたが、ドイツではオーケストラアカデミーなどの経歴のない人にはなかなか招待状を送ってくれません。なので、「まずはアカデミー!」と思い、6月に北ドイツ放送響のアカデミー、シュトゥットガルト放送響の実習生を受け、合格しました。

初めて受けたオーディションは有名オーケストラでしたが、あまりの緊張に笑ってしまいました! その1回で空気がわかったので、覚悟して次からに臨めました。
ちなみにアカデミーは年齢制限が25、26歳のものが多いので、はじめからドイツに残る気持ちがあるのならば、早めにトライすると良いと思います。北ドイツは26歳まで、シュトゥットガルトのわたしの受けたシュテレは28歳までという制限でした。

実は、北ドイツ、シュトゥットガルト、それとミュンヘン室内オーケストラのオーディションは、全てがある一週間に集中していました。北ドイツ、シュトゥットガルトと2日連続でオーディションを受け、あまりにも疲れていたため、5日後のミュンヘン室内はキャンセルして、北ドイツ放送響アカデミーに決めようと先生に相談ところ、先生から「招待状をもらっている、アカデミーじゃない良いオケの席だからミュンヘン室内も受けなさい」と言われ、受けました。
このオケはチェンバーオーケストラで、弦楽器のみ25人のオケなので、高いアンサンブル能力と一人一人のアイデアが求められるそうです。

オーディションの一次はモーツァルトのコンチェルト。
二次はロマン派のコンチェルトと、バッハのソロソナタ、又はパルティータより二楽章抜粋。
三次では、リハーサルなしで、コンマス、各楽器の首席と、モーツァルトのカルテット「不協和音」の第一、第二楽章のファーストヴァイオリンと、 バルトークのディベルティメントのセカンドヴァイオリンを弾きます。
普通のオーディションでは、モーツァルト、ロマン派を弾いたら、オーケストラスタディを弾くので、ちょっと特殊だと思います。

ミュンヘン室内は私立オケのようなものなので、州立の大きなオーケストラのように、ミュンヘンでどっしり、というよりは、小回り効かせて旅に出ることが多いです。指揮なしの演奏会も多く、ミュンヘン国際コンクールや、ハノーファー国際コンクールなどの有名コンクールで、指揮なしでのラウンドの演奏をしています。また、ほぼ毎回の定期に委嘱作品が入るくらい、現代曲を多く取り上げているのも特徴だと思います。
これまで中国、ロシア、スペイン、スイスと行き、これからはパリ、イスタンブール、ブタペスト…と色々行きます。パスポートが埋まって行くのが楽しい近頃のわたしですが、ドイツにいても、違う国にいても、日本にいても、いつも「日本人で良かった!」と思います。[/gakunai]

 
ニュルンベルクの名所カイザーブルクから
ニュルンベルクの名所カイザーブルクから

 

「将来の展望(留学経験を踏まえて)」

わたしは運よく、ニュルンベルク音大の卒業直前に、ミュンヘン室内オーケストラに入団する事ができました。わたしは、高校から、ずっと先生方や周りの仲間に恵まれた藝大生活を過ごしてきたので、日本ではヴァイオリンの基本や、充実した室内楽を、ドイツでは自分に足りなかった、自分の出したい音を出すのに必要なテクニック等を学べたと思っています。これらが重なって、室内オーケストラという、今のわたしにとってはベストとも言える環境で、タイミング良く仕事ができるようになったことは、本当に幸運でした。

オーケストラの中で弾いていると、たまに自分の演奏のコントロールが甘くなっているように感じることがあります。音楽は、何歳まででも勉強を続けられるものですが、いつまでも学生ではいられません。大学、藝大の大学院、ニュルンベルクと十分に勉強はしたと思うので、完璧なタイミングで仕事を始められたと思っていますが、自分の演奏をこれからどうのように勉強していくかも、とても大事な考えるべきことだと感じています。
勉強したニュルンベルクとミュンヘンは電車で1時間ほどなので、入団して4カ月が経ち、だいぶ慣れてきた今、仕事が休みの時には、ニュルンベルクにレッスンに通っています。

 
先生のコンサート後、クラスの友人と。この時はイタリア人、ドイツ人、日本人そして、先生の奥様(中国人)、という感じです。
先生のコンサート後、クラスの友人と。この時はイタリア人、ドイツ人、日本人そして、先生の奥様(中国人)、という感じです。
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05.その他

「藝大に望むこと」

藝大での勉強は、わたしにとってとても貴重な時間ですし、満足しています!
わたしの留学先ニュルンベルクは特にそうですが、他の都市の大学でも、藝大ほど練習環境や、設備、すばらしい先生方や学生がそろっている機関は少なくともドイツでは少ないと思います。ソルフェージュを苦手としていたわたしですら当たり前にできることが、他の国の学生にはできなかったりといったことにも驚きましたが、オーケストラの授業でのアンサンブル力などに関しても、藝大のレベルしか知らなかったわたしは、正直に言うと、かなりがっかりしました。

望むこと…。わたしは自分で調べなかったので、もしかしたら藝大に既にそのようなシステムがあるかもしれませんが、奨学金制度であったり、藝大からの交換留学のようなシステムであったり、そのようなものができたら素敵だなと思います。そうすれば、よりGEIDAIの外国での認知度が上がると思うので。もし、そのようなシステムがもうあるとしたら、学生みんながそれを知ることのできる手段があると良いと思います。ドイツの大学では、学期前、先生の部屋や教務課に、大量の奨学金制度の表が貼り出されていて、みんな必死にチェックしていました。
このような留学体験記が、少しでも在学生や卒業生の力になったらと思います。[/gakunai]
(2013.3.3)

 
ニュルンベルクの街なみ
ニュルンベルクの街なみ

※学外へは一部を抜粋して公開しています。